帰国して3日目、アメリカとはハンドルが逆、通行も逆の日本で、ゆるゆると気をつけながら車を走らせる。左折信号を出そうとして、これまた、ついつい逆の左レバーに手がのびて、「シャッシャッ」とワイパーが動き出す。
こんな調子でおっかなびっくり走りながら、住宅街の小道から大通りに出るところの信号で停まって青信号に変わるのを待っていた時だ。私の右脇からさっと郵便屋さんのバイクが出てきたと思うと、私の車の直前、左前にバイクを止めて、配達係は書留でも届けるのか、家の玄関先へ飛び込んでいった。私は一瞬ぎょっとしたが、青信号になったのを見て、バイクに車を当てないよう、ハンドルを右にきれるだけきって、車を発進させた。
日本に来て、こういう体験がもう何度かあった。
皆が、人に無関心というか、自分のことしか考えていないと思う状況に出くわす場面。
そして車を走らせながら考えた。なんで、あの郵便屋さんは、私の車の後ろにバイクを止めて、配達先までのほんの2メーターの距離を歩けないのか、と。
このなんともいえない違和感は、山手線にのった時にも感じた。
目白駅で、ベビーカーを押したお母さんが乗ってきた。車内に入るとお母さんは、汗が止まらない様子で、何度も何度もタオルを額に押さえつけている。ちょうどその時は、梅雨の合間の晴れ間で、気温は23、4度。確かに蒸し暑いとは思うけれど、車内に目を転じれば、男性人は皆、背広をしっかり着て涼やかにしている。
池袋駅で、大半の乗客がザザーっと降り始めた。このママさんもベービーカーを押しながらその流れにのろうと懸命だ。私も前輪を持ち上げて、ホームにあがるのを手伝った。
「ありがとうございます!」
とてもさわやかな挨拶をいただいた。
私も、
「今日はお天気で助かりますね。どうぞお気をつけて。」
と声をかけ別れた。
私の場合、子供が幼い時分は、ほとんどアメリカだったので、移動はもっぱら車。そして異動先で、双子なので、ダブルストローラーを使っていた。
モールの入り口で、ぐいぐいこのストローラーを押し入れていると、大抵、誰かが走り寄ってきて、扉を押さえたりして助けてくれた。本当に、ちょっとした気遣いや、手伝いが嬉しかったし、また助けられてきた。そのことを思い返すと、混んでいる東京都内。電車やバスでの移動も子連れにはシンドイことだろう、と思う。
その夜、ベービーカーを使用した電車の乗り方について規制を設ける動きのあることを、NHKのニュースで知った。電車のベービーカーが邪魔だからという内容だ。ベービーカーは、幼児を抱える家族にとっては、いわば移動の必需品。子育て最初の2、3年しかいらないものだけれど、授乳の時に必須の哺乳瓶のような存在だ。それが、邪魔だ、迷惑だというクレーム。何かおかしくないか?。
日本では、少子化進展のため、もっと子供を生みやすい、育てやすい環境を作らなくてはということで、以前には、児童手当なるものまでお目見えしたと理解していた。それを思うと、このベビーカーを取り巻く動きは矛盾してはいまいか?育てやすい環境をというならば、お尋ねしたい。子連れでベビーカーを押し押しいくお母さん達への皆さんの視線は、一体あたたかですかと。
アメリカでは、必ずといっていい程、ストローラーを押しながら荷物をもったり、扉の開け閉めで戸惑う時に、誰かが助けてくれた。そしてそれは大方男性だ。レーディーファーストのルールは、新参ママたちにも例外ない適応されて、男性は若者から年配の人まで違わず、ママたちが格闘している様子があれば、自然と手をさしのべてくれる。新しい家族づくりに励む新米家族たちを温かく見守る視線がアメリカにはある。
ところが、東京という場所は、どうも皆、自分のことばかりが大切なようだ。
自分の子育て時の気持ち、兄弟や親戚の従兄弟が子育てに奮闘していたことへの記憶はどこへやらだ。というか、日本の男性陣の場合、毎日遅くまで働いていて、奥さんたちの子育て奮闘を目にしたこともなく、想像すら出来ないのかもしれない。
人の気持ちに自分の思いをもっとかさねてみてはどうか。
そうすれば、もっと皆が気持ちよく、ぎすぎすせずに暮らせる社会を作っていけるんじゃないだろうか。
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